夏に土用の丑と聞けば、大半の人が「鰻(うなぎ)」を思い浮かべますね。今年の土用の丑の日は、7月23日(土)と8月4日(木)になりますが、夏バテ予防の食養生で鰻の蒲焼きを求める人でお店も賑わうことでしょう。この蒲焼き、実は関東と関西では調理法がまったく違うのです。今回は、鰻の蒲焼きの歴史を辿りながら、東西で調理法が大きく異なる秘密に迫ります。
万葉の人々も食べていた滋養強壮のための鰻
「石麻呂に我物申す、夏痩せに良しいふものそ鰻捕り食せ」と日本最古の和歌集・万葉集の中にも、夏痩せの栄養補給に鰻が最適であるという歌が記されています。当時の著名な歌人・大伴家持が詠んだ歌ですが、1200年以上前の平城京(奈良時代)の人々も、鰻が滋養強壮に効くことを認識していたのは驚きです。ただ当時、どのような調理をしていたのかは資料が残っておらず、推測も難しいのが残念なところです。
万葉の人々も食した鰻の栄養価は優秀で、良質なたんぱく質と脂肪を多く含み、さらにビタミンA・D・Eなども豊富です。この鰻をおいしく食べる調理法として考案された蒲焼きが歴史上に現れるのは、奈良時代から800年後の安土桃山時代になります。
加賀百万石の礎を築いた前田利家に関する資料「前田邸御成記」(1594年)に蒲焼きの記載があり、丸のまま縦に串を打ち焼くという調理法が確認できます。その形が、蒲の穂に似ていたので、蒲焼きと呼ばれるようになったとの説が有力です。
東の背開き、西の腹開き
その後、蒲焼きが普及し始めるのは、1700年前後の元禄時代あたりからになります。すでにこの頃から、関東で鰻を背開きにして、ふたつに切ってから竹串に刺すスタイルになっていたようで、一方、関西では腹開きにして、背ひれや尾ひれもつけたまま金串に刺すスタイルが確立されていました。
その理由は、江戸の武士が腹開きは切腹を連想させると忌み嫌ったため背開きが主流となり、商人が中心の関西では腹を割って話すことを大切にしていたため腹開きが根付いたという説がよく知られています。加えて、江戸では料理の見栄えを重んじる風潮が強かったため、形が崩れにくい背開きを料理人たちが採用したのが大きな要因ともいわれています。
これに対して関西では、腹に包丁を入れて捌く方が、素早く調理でき、かつ頭などの固い部位まで切ることができるので、鰻すべてを無駄なくおいしく使うという理にかなった調理法が関西人気質にも合致し定着していったのです。
焼き方も違う東西、蒸す工程の有無
背開きと腹開きという捌き方の違いだけでなく、その焼き方にも東西で大きく異なるのが蒲焼きの不思議な魅力のひとつです。では、その違いを比べてみましょう。
◆関東風の焼き方◆
竹串に刺した鰻を皮のほうから焼き始め両面を焼いた「白焼き」状態から、蒸して脂を落とし、その後にタレを付けて再び焼き仕上げる。
◆関西風の焼き方◆
金串に刺した鰻を先にタレに付け身のほうから焼き始め、蒸すというプロセスはなく、一旦、焼き上げてから、もう一度タレを付けて焼き仕上げる。
蒸す工程を経る関東風の蒲焼きは、脂がほどよく抜け、皮も身もやわらかくなり、とろりとした口当たりの良い上品な味わいが楽しめます。蒸す工程の無い関西風は、味が濃く、身も皮もパリッとした食感とタレの香ばしさが醍醐味になっています。どちらも甲乙つけがたいおいしさですが、今では蒸す工程のある関東風の蒲焼きが、全国的には主流を占めているようです。
まだまだある東西の違い、鰻の頭に注目
捌き方、焼き方の違いだけでなく、もうひとつ大きな相違点は鰻の頭の扱いです。関東では、スーパーや魚屋で並ぶ蒲焼きはすべて、頭の部分はカットされています。ところが関西では頭が付いた状態で並んでいることも珍しくないのです。これには東の背開き、西の腹開きの捌き方が大きく関わっています。
鰻は背から捌くと、頭が邪魔で包丁が入れにくくなるため、頭を先に取り除き捨ててしまいます。ところが、腹から包丁を入れると頭も簡単に二つに割れるので、関西では頭をつけたまま串に刺して焼くスタイルになったのです。この頭は「半助(はんすけ)」と呼ばれ、料理にしっかり活用されるのが関西ならではの食文化です。半助をそのまま串にさして酒の肴として楽しんだり、豆腐と一緒に煮込んだ郷土料理「半助豆腐」など、鰻の頭も立派な一品として存在しています。
鰻重の始まりは、芝居好きのお弁当から
鰻の蒲焼きは、おかずや肴として楽しむ場合もありますが、パパキャリ世代のみなさんにとっては、やはり鰻丼や鰻重と呼ばれる、ご飯と蒲焼きを一緒に食べる「鰻ご飯」のスタイルが主流でしょう。この食べ方の誕生は1800年代初頭、江戸・日本橋に住んでいた大久保今助という大の鰻好きの芝居興行主の発案とされています。
食事の度に、おかずとして大好物の蒲焼きをお店から取り寄せていた今助でしたが、運ばれてくる途中で冷めてしまい、お店で食べる味とは変わってしまうため満足できなかったようです。なんとか温かい蒲焼きを食べたいとの思いで知恵を絞った今助は、大きな丼に炊きたて熱々のご飯と、焼きたての蒲焼きを一緒に入れ混ぜにして、しっかりフタをしてお店から運ばせました。
これが大正解、お店で食べる焼きたてと変わらぬ温かさがあり、ご飯も蒲焼きのタレと鰻の旨みが浸み込んでいて極上の味になっていました。この食べ方が評判を呼び、瞬く間に鰻丼・鰻重のスタイルが確立していったのでした。
家族でおいしい「鰻ご飯」を楽しみましょう
全国に広がっていった鰻丼・鰻重は、その地域ならではの独自性が加わり、よりおいしく楽しい逸品へと進化していきました。代表的なものが名古屋を中心とする東海地域の郷土料理「櫃まぶし」になります。蒲焼きを短冊状に切り、ご飯としっかり絡めてお櫃に入れられた「鰻ご飯」で、3通りの食べ方で楽しむ逸品です。
まず最初は、ご飯茶碗に盛り、そのまま味わいます。二膳目は、山葵、刻みネギ、刻み海苔などの薬味を加えて味の変化を楽しみながら食べます。そして三膳目は、出汁をかけ茶漬風にして仕上げるというスタイルです。最近では、関東でも関西でも味わえるお店も増えてきていますし、おうちでも、蒲焼きに薬味と出汁を用意すれば、充分に楽しめますよ。
今夏も猛暑との気象予報が発表されています。ぜひ土用の丑の日は家族揃って、おいしい「櫃まぶし」で夏バテ予防に取り組んでみてくださいね。
【参考文献】
※『和の食 全史』|株式会社河出書房新社 2017年刊
※『旬の日本文化』| 株式会社KADOKAWA 2009年刊
※『たべもの起源事典』| 株式会社東京堂出版2003年刊