「新米を楽しんでいますか!お米の歴史について学びましょう」~子どもと一緒に食を考える #71

Terry Naniwa

Terry Naniwa

編集・ライター稼業に従事すること30余年。 子育ては卒業も、新米パパ&ママに先人の教えや 大切な伝統を発信することをライフワークに活動中。 明治、昭和、平成と時をこえて今も息づく暮らしの知恵を 届けます。

新米が売場に出回り、みなさんのお家の食卓でも今年の出来映えを楽しまれている頃ではないでしょうか。私たち日本人の食の根本を支えて来た「お米」は起源は中国の福建米といわれており、日本での栽培の始まりは約3,000年程前の縄文時代からとされています。今回は、お米の歴史を紐解きながら、今、私たちが食べているお米の品種について掘り下げてご紹介します。

お米が主食になったのは戦後から?

3,000年以上前から栽培され、私たち日本人の食を支えて来たとされるお米ですが、実は主食となったのは昭和20年代後半、いわゆる戦後からなのです。明治維新まではお米は税として権力者に納める物であり、残ったわずかなお米に麦・ひえ・あわなどの雑穀を混ぜたご飯を食べていました。他には、そば・いも・とうもろこし・大根・豆類などが、主な食糧となっていたのです。明治以降でも、庶民の生活は同様で、お米(白米)は祭りや祝い事などのハレの日だけに食べられる特別な存在だったのです。

「亀の尾」と「旭」の2品種から誕生した現在のお米

では今、私たちが食べている現在のお米について掘り下げていきましょう。日本には今、約500品種ものお米があるといわれています。そのうち2/3ほどがスーパーなどのお米売り場で目にする主食用のお米(うるち米)で、1/3はもち米や酒米です。「コシヒカリ」「ひとめぼれ」「あきたこまち」などが主食用の代表的な銘柄で、実際に食べておられるパパキャリ世代のみなさんも多いのではないでしょうか。

300品種を超える主食用のお米も、家系図をたどっていけば、明治時代に作られていた「亀の尾」と「旭」の2品種から生まれていることがわかります。そこからおいしいお米を作るために、いろいろな品種の掛け合わせや、気候風土に適した品種の研究開発が脈々と続けられ、今に至っているのです。

80~90年代に人気を二分した「コシヒカリ」と「ササニシキ」

戦前、新潟県で味の良いお米と病気に強いお米を掛け合わせた試作米を、戦後、福井県が引き継ぎ、新品種として育成したのが「コシヒカリ」(1956年誕生)です。甘みと粘りが強く、つやと香りも良いと評判で、やがて全国で作られるようになりました。1979年から生産量第1位の座を今も守り続けている、日本のお米の代名詞的存在です。

「コシヒカリ」誕生の7年後には「ササニシキ」が登場。80~90年代は日本米の2トップとして人気を二分しましたが、お米の難敵であるいもち病に弱く、しだいに生産者が耐久性の高い品種へ移行していったため、生産量は大きく減ってしまいました。ただ、お酢と混ぜてもべたべたしないという特性が寿司職人に好まれ、現在は「寿司米ならササニシキ」という独自の地位を築いています。

日本のお米界を席巻し続ける「コシヒカリ」ファミリー

お米の家系図を見ると、「ササニシキ」は「コシヒカリ」の甥っ子にあたるとわかります。それだけでなく、現在の人気品種のほとんどが「コシヒカリ」の血を引いているのがわかります。生産量第2位~4位の「ひとめぼれ」「ヒノヒカリ」「あきたこまち」は「コシヒカリ」をお父さんとする異母兄弟です。

そのほかの人気銘柄を見ると、「はえぬき」は「あきたこまち」から生まれているので「コシヒカリ」の孫。「ななつぼし」は「ひとめぼれ」が親になるので、こちらも「コシヒカリ」の孫にあたります。さらに、ひ孫にあたるのが1989年(平成元年)誕生で北海道米のイメージを高めたと評判の「きらら397」と、「コシヒカリ」ファミリーが日本のお米界を席巻しているのがよくわかります。

おいしい新米を家族みんなで楽しみましょう

「亀の尾」と「旭」から長い年月をかけて改良・開発されてきたお米の家系図は、まるでサラブレットの世界のようです。そのトップに40年以上君臨し、次々とおいしい次世代を輩出している「コシヒカリ」は、まさにお米界のディープインパクトと思えてきます。令和の新時代にも、私たちを魅了してくれるおいしいお米の登場を期待しつつ、今年の新米を家族みんなで楽しんでくださいね。

【参考文献】

※『お米の食と近代史』|吉川弘文館2007年刊

※『旬の日本文化』|KADOKAWA2009年刊

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