1月11日は鏡開きの日です。お正月の間に年神様の依り代として飾っておいた鏡餅を下げていただく儀式のことで、木槌や手で開いて食べやすいサイズに分けられます。硬くなった鏡餅は善哉や汁粉で食べることが多く、寒い季節を代表する和菓子になっています。
でも善哉と汁粉はどう違うのでしょうか。呼び方の違い、調理方法の違い、地域の違い・・・、この記事ではその違いを探ってみました。
鏡餅が善哉や汁粉に使われたのはなぜ?
年末年始の寒い時期に飾られていた鏡餅は乾燥してカチカチに硬くなっているので、とてもそのままでは食べられません。善哉や汁粉に使えば、煮込むことで柔らかくなりますし、開いた時に細かくなった鏡餅の破片まで残さずにいただくことが可能です。縁起物の鏡餅ですから、余さずいただくことが何より大切なため、こうした煮込む調理方法が昔から重宝されていました。
加えて、お正月は雑煮でお餅を食べる機会がたくさんあり、その味に飽きてしまった時期に、温かくて甘く、ほっこりできる善哉や汁粉に人気が集まったのです。
江戸時代から東西で違っていた呼び名と内容
今から約170年前、江戸時代後期の「守貞謾稿(もりさだまんこう)」(1853年)に、当時から東西で呼び名が違っていたことが記されています。関東の場合は、つぶ餡で作ると田舎汁粉や小倉汁粉と呼ばれ、こし餡なら御膳汁粉が定番の名称になっています。対して関西は、つぶ餡で作るのが善哉になり、こし餡が汁粉と呼ばれ、現在でもこの傾向が続いています。
関東の善哉、関西の亀山
では関東では、善哉と呼ばれるタイプは無いのかと思えばそうではなく、汁気が少ないタイプ、ほとんど無く餡だけのタイプが善哉と呼ばれています。関西では、この汁気の少ないタイプは亀山と呼ばれ、京都の老舗和菓子店などで食べることができます。所かわれば名前も変わるものですね。東京では、つぶ餡で作った田舎汁粉と田舎善哉、こし餡で作った御膳汁粉と御膳善哉の4種をそろえている甘味屋もあるので、甘党の方はぜひ食べ比べにもチャレンジしてみてください。
筆者は小豆の粒の歯応えを生かしたつぶ餡が好みですが、蜜煮した小豆を加え粒の形を整えたタイプを京都では小倉餡と呼び、つぶ餡と区別しています。この小倉は、京都市右京区の小倉山を指すと考えられており、その近くにある亀山という地名に因んで、汁気の少ないタイプの名が付けられたのです。
善哉の由来は一休さん?
善哉と汁粉の名の由来を調べてみると、餡汁粉餅が略されて汁粉になったといわれており、江戸時代後期には定着していたようですが、善哉は仏教用語が基であるという説が有力です。“ぜんざい”とは二度繰り返して喜びの極致を表す仏教用語で、「よろしい、たいへん結構です」という意味で、善哉の字が当てられています。
一休さんでお馴染みの一休禅師の逸話で、お餅を入れた小豆汁を食べた際に、おいしさに喜び「善哉此汁」と称えたことからこの呼び名が広まったといわれています。
文豪・芥川龍之介も愛した汁粉
この記事の締めくくりは文豪のエピソードをご紹介しましょう。文壇の登竜門「芥川賞」でお馴染みの芥川龍之介は、汁粉の大ファンでした。上野の甘味屋を贔屓にしており、普通の御膳汁粉の二倍はあるという小倉汁粉を好んで食べていました。
そして「しるこ」と題する随筆まで執筆している熱の入りようです。その中で、大正12年の関東大震災で、東京の汁粉を出すお店の大半が被害を受け減ってしまったことを、「僕ら下戸仲間のためには少なからぬ損失である。のみならず僕らの東京のためにもやはり少なからず損失である」と書いています。ニヒルな印象の強い文豪にも、こんな甘党の一面があったのかと思うと、なぜかホッとした気分になってきます。
日本を代表する文豪も魅了した汁粉、一休禅師を感嘆させた善哉、そのどちらも楽しめる、今の私たちの暮らしに感謝しつつ、おいしい一杯を楽しみたいですね。
【参考文献】
※『事典 和菓子の世界 増補改訂版』|株式会社岩波書店2018年刊
※『和菓子を愛した人たち』| 株式会社山川出版社2017年刊