もうすぐ「勤労感謝の日」です。1948年(昭和23)に制定された国民の祝日で、祝日法の第2条では「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」とされています。しかし「勤労感謝の日」になる前は食料の収穫を喜び、神仏に供えて感謝の気持ちを表す祭りの日「新嘗祭(にいなめさい)」と呼ばれていました。言わば、日本古来からのハロウィンともいうべきお祭りの日で、天皇が新穀を神に献じて、親しく食し祝う儀式が行われていたのです。この記事では、日本古来から続く11月23日の意味とこれからについてご紹介します。
ハロウィンは古代ケルト人の収穫祭が起源
古代ケルト人の暮らしでは1年の始まりが11月1日とされ、その前日(10月31日)の夜から新しい年の安寧と豊作を祈る儀式がハロウィンの起源と考えられています。今ではアメリカを中心に民間行事として定着し、日本でも東京ディズニーリゾートやUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)の大イベントから各地の仮装パーティ、SNSの投稿、ハロウィンスイーツなどクリスマスに次ぐ盛り上がりをみせています。
ハロウィンと言えば、かぼちゃ(南瓜)がお馴染みになっていますが、そもそもの起源からすれば作物すべての豊かな実りを祈る祭礼の意味があったのです。まさに収穫祭と言える大切な儀式です。日本の収穫祭を代表するのが新嘗祭であり、古くから11月23日に行われており、現在でも皇室や伊勢神宮などで脈々と受け継がれ続いています。そう「勤労感謝の日」こそ日本のハロウィンと呼んでも過言ではないのです。
明治時代に全国に拡がった新嘗祭
新嘗祭は、江戸時代までは宮中の儀式として行われていました。天皇がその年に収穫された新穀や新酒を神に供え、その恵みに感謝して自らも食すという儀式で、神前には、米・飯に粟飯と白粥、白酒(しろき)と黒酒(くろき)が供えられました。ちなみに白酒とは濁り酒、黒酒とは清酒のことです。新嘗祭がいつごろから行われてきたのかは定かではありませんが、「日本書記」(720年)には642年に皇極(こうぎょく)天皇が新嘗祭を行ったと記されています。
明治になると政府からの上意下達をもって、全国各地の神社に統一祭礼としての実施がなされました。いわば押しつけ、強制的な指示です。ただ農業国だった当時の日本には以前から各地で、収穫した田畑の作物を神に供えて祝う祭礼(秋まつり)が行われていたので、さしたる抵抗もなく、新嘗祭はそれに融合する形で受け入れられたのです。
「勤労感謝の日」にこそ、これからの食を考えよう!
第二次世界大戦後の1948年(昭和23)に11月23日は「勤労感謝の日」と制定され、新嘗祭という言葉は民間ではあまり使われなくなりました。しかし祝日法には「勤労感謝の日」の意味として、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」とされています。食料の収穫を喜び、感謝するという想いはパパ・ママのこれからの暮らしの中でも、無くしてはならない大切なものです。
新嘗祭と呼ばれていた頃の日本は農業国で食料自給率も高い水準を持っていました。ところが戦後の高度経済成長期に入ると、農林漁業に携わる人口が減少し食料自給率も大きく低下することになりました。農林水産省の統計データを見ると、1965年(昭和40)で73%もあった食料自給率(カロリーベース)が、昨年(令和2)にはなんと37%と当時の1/2にまで落ち込んでいるのです。日本の行く末が心配になるデータが示されています。
https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html
“はじめの一歩”は「地産地消」から
食料自給率の低下という大きな問題は、もちろんパパ・ママ個人の力では解決できるものではありませんが、まずはこうした状況をしっかり理解し、子どもたちにも「これからの日本の食を考える」という意識を持たせたいものです。1人ひとりが毎日の食事としっかり向き合いようにしましょう。この野菜の産地はどこか、この魚はどこで獲れたのか、この輸入肉はどこからなどを知り、子どもにも教えてあげることが食への関心を高める第一歩です。
2000年以降、日本の農林漁業の衰退を食い止めようとさまざまな活動が増えてきています。代表的なものが「地産地消」です。地元で収穫されたものを地元の人たちで食べる、まさに古き良き日本の原型を、今の暮らしで実践しようとする取り組みで、これならパパ・ママも直ぐにでも始めることができますね。まずは“はじめの一歩”を11月23日から進めてみてはいかがですか!
【参考文献】※『「旬」の日本文化』|角川ソフィア文庫2009年刊