「梅干し徹底研究♫(前篇) その歴史を紐解く」~子どもと一緒に食を考える #84

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「梅干し徹底研究♫(前篇) その歴史を紐解く」~子どもと一緒に食を考える #84

Terry Naniwa

Terry Naniwa

編集・ライター稼業に従事すること30余年。 子育ては卒業も、新米パパ&ママに先人の教えや 大切な伝統を発信することをライフワークに活動中。 明治、昭和、平成と時をこえて今も息づく暮らしの知恵を 届けます。

6月に入ると梅の産地では収穫が始まり、梅干し作りが盛んになります。古くから私たち日本人の食を支えて来た貴重な食品である「梅干し」。梅肉を使った料理は、これからの季節に重宝されますよね。そこで今回から2回に渡り、梅干しを深堀し、その歴史から栄養や効能について詳しくご紹介します。まず前篇では、梅干しのルーツから、現在に至るまでの変遷をたどります。

万葉の頃から親しまれていた梅

梅の原産地は中国の四川から湖南地域とされ、7世紀頃に日本に伝えられたとする説が有力です。ただ、大分県から宮崎県にかけての山地で自生林が確認されており、日本を原産とする説も残っています。いずれにしても東アジア圏に広く分布しており、古くから生活に密着した存在でした。日本最古の歌集「万葉集」には、梅花を詠んだ歌が100首以上も記されています。日本の代名詞とも桜花の40余首よりはるかに多く、当時は桜より梅の方が人気があったと推測できます。

その梅の実が「梅干し」として食用になったのは鎌倉時代からですが、喉の乾きを和らげ保存が効くため、兵糧としての価値が高く、武士の戦陣食として重宝され、江戸時代までその位置づけは変わらず、庶民には縁遠い存在だったようです。

梅干しが旅の難所・箱根越えの大切なお供に

戦国時代に小田原城を拠点に関東を支配した北条氏は、梅の栽培に力を注ぎました。江戸時代に入ってからも小田原では梅の生産が盛んで、1796年に藩主に就いた大久保忠真は、その栽培をさらに奨励。その施作が梅干しをシソの葉で包んで風味を保ち、落としても中身は汚れないという画期的な創作食品「シソ巻梅漬け」の考案につながりました。

小田原は東海道最大の難所・箱根八里越えの拠点となる宿場町でもありました。旅人が滋養食としてシソ巻梅漬けを携帯したり、弁当の中身が傷まないよう梅干しを入れたりするうちに、小田原の梅干しの人気は高まり、庶民の間でも認知が高まっていったのです。

重税に悩まされていた農民が始めた和歌山の梅作り

では、現在の梅の最大産地・和歌山ではいつから梅の生産がはじまったのでしょうか。歴史を紐解くと、小田原で梅の栽培が盛んになった時期と重なるようです。和歌山田辺地域の土壌は米作りに適さない、梅や竹しか育たないやせ地でした。重税に喘いでいた農民が少しでも生活の糧にと梅の栽培をはじめたところ、想像以上に生育が進み、それを知った田辺藩主もその栽培を奨励、やがて保護政策をとるまでになりました。

後年の研究では、ミネラルを多く含んだ土壌や高地ならではの寒暖差などの環境が梅づくりに適していたと判明しています。「紀伊続風土記」(1839年)には「梅各郡処処に多し、中にも海部郡仁義浜両荘の産、上品なり。霜梅(うめぼし)を多く製し出す」という記述があり、生産が賑わっていたことがうかがえます。このように江戸時代後期には、東西で梅の生産が活発になっていったのです。

日清・日露戦争と日の丸弁当

時代が明治に移り、富国強兵のもと大陸進出を狙う日本は、日清・日露と大きな戦争を繰り返し、その兵糧食として梅干しの需要が大きく伸びました。また子どもたちには学校を通じ、ご飯の真ん中に梅干しをおいた日の丸弁当が奨励され、国民の間に加速的に浸透していきました。軍事的な国威発揚でその需要が高まったのは、梅干しにとっては残念な歴史かもしれません。

ただ食文化の発展という観点から見れば、梅の大量生産によって商品開発が盛んになっていったのは意義深いものがあります。大正元年(1912年)には広島県賀茂郡竹原町の米原歌喜地が梅酒の製造に着手するなど、梅の多様な楽しみ方が創られていったのです。

戦後の停滞期から復活を牽引した南高梅(なんこううめ)

太平洋戦争時までは需要の高かった梅干しも、戦後の食糧難の時代にはさつまいもの栽培のために梅の木が伐採され、生産が大きく減少。その後、高度経済成長期を迎えた頃から果実類の需要が伸び、梅の栽培も急速に回復をみせていきました。

昭和50年代に入ると、食生活の多様化が進み、再び梅干しにスポットが当たり、右肩上がりの需要となりました。その人気を牽引したのが、梅の最高級ブランド「南高梅」です。和歌山発祥の南高梅が、日本の梅干しを世界に認知される食品に押し上げ、梅といえば和歌山といわれるほどの揺るぎない地位を確立したのです。

健康ブームを背景に多様化が進む梅干し

やがて平成に入ると健康志向が食の世界にも広まり、塩分の多い昔ながらの梅干しから塩分8%位に控えたものが好まれるようになりました。生産品としては「はちみつ梅」や「かつお梅」などの味梅が主流を占めるようになり、食べやすさと味の豊富さが梅干しの大切な要素として今の市場を構成しているのです。

古くから私たちの生活と密着しながら、進化してきた梅干し。これからの季節は様々な料理に活用して家族みんなで、おいしく楽しみたいですね。次回、後篇では、梅干しの栄養と効能について掘り下げます。

【参考文献】
※『たべもの起源事典』|東京堂出版2003年刊
※『「旬」の日本文化』|KADOKAWA2009年刊

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