誰をも惹きつけてやまない甘い氷菓・アイスクリームの歴史を紐解く後篇は日本におけるその軌跡を紐解きます。日本人で最初にアイスクリームを食べたのは誰なのか?また国内で初めてアイスクリームを作ったのは誰なのか?その歴史は幕末の1860年、アメリカに渡った一隻の船から始まりました。
咸臨丸のメンバーがアイスクリームと出会う
1860年(万延元年)、江戸幕府は日米通商条約本書交換のため使節団をアメリカに派遣することになりました。日本の軍艦咸臨丸と米国軍艦ポーハタン号に乗った使節一行は、長い航海を経て無事にアメリカに渡りました。調印という大きな使命はもちろん、現地で見るもの聞くもの、そして日々の食事も、驚きの連続でした。その会食の際に、一行は初めてアイスクリームに出会ったのです。
「氷を色々に染め、モノの形に作り、味は至って甘く、口に入ると忽ち溶けて誠に美味なり。これをアイスクリンと言う」と日誌に記しています。日本人で初めてアイスクリームを口にしたのは、咸臨丸でお馴染みの福沢諭吉や勝海舟らの一行だったのです。
日本のアイスクリームの元祖は町田房造
その咸臨丸一行の中にいた町田房造は、マッチや石鹸、氷などの製法をアメリカで見学し、二度目の渡米でそれらの技術を身につけて帰国しました。そして横浜の馬車道で氷水屋を開業し、米国で覚えたアイスクリンの製造販売を始めたのです。1869年(明治2年)5月9日のことでした。この日に因み、日本アイスクリーム協会は5月9日を「アイスクリームの日」と制定しています。
当時はアイスクリン1人前が、女工さんの半月分の給金に相当するという高価なもので在留する外国人が求める程度でしたが、翌年の伊勢神宮遷宮祭のお祭り気分の効果で市民権を得るほど売り上げを伸ばしたのです。
資生堂や雪印などの大手メーカーが参入
1900年、資生堂がアイスクリーム・パーラーを開業し、アイスクリーム・ソーダーやアイスクリーム・サンデーなどを世間に広めていきました。1921年には大手メーカーによる大量生産が始まり、雪印は大衆市場向けにチョコレートとストロベリーとレモンの「3色アイス」を発売、庶民にアイスクリームが浸透していく礎を築いたのです。
その後、第二次世界大戦中は完全に操業が停止した日本のおアイスクリーム製造は1950年代に入り、徐々に再開され、1953年にはアイスキャンデーの開発されるなど動きが活発になり、ひとり用のカップ・アイスの製造も始まり、現在のスタイルへと進化を遂げていきました。
日本オリジナルのフレバーの開発
アメリカから日本に伝わったアイスクリームは、当然のようにバニラ・チョコレート・ストロベリーなど欧米のフレバーが人気でしたが、各メーカーの切磋琢磨で日本独自のフレバーも開発され、今日では世界から注目を集めるようになっています。その代表が抹茶(緑茶)フレバーです。和食が世界的なブームとなっている今日、その代表的な食材のひとつである緑茶のフレバーは、欧米のみならず中南米・中近東でも大きな人気を誇っています。日本で誕生したフレバーが世界を席巻していることを咸臨丸一行は空の上からどう思っていることでしょう。
氷菓の定義も覚えておきましょう
日本におけるアイスクリームの変遷、いかがでしたか。では締めくくりに氷菓の分類をお伝えしておきましょう。
◇グラニテ=粒状の氷が入る凍らせた果汁や果肉入りのシロップを細かく削り、粒状に凍らせた氷菓。シャーベットより軽くあっさり。
◇ソルベ=フルーツジュース・ピューレを凍結させたもの。
◇シャーベット=ソルベに牛乳、卵白、ゼラチンを加えたもの。アイスクリームより甘味料が多い。乳脂肪分1~2%。
◇ジェラート=果汁、果肉、牛乳、砂糖を使用。乳脂肪分4~8%。
◇アイスクリーム=乳固形分15%以上、乳脂肪分8%以上。
【参考文献】
※『アイスクリームの歴史物語』|株式会社原書房2012年刊
※『お菓子の由来物語』|株式会社幻冬舎ルネッサンス2008年刊